こたすけの戯言

こたすけの戯言

「こた、すけ」の二人で届けるブログです。読者に新たな気付きを与え、勇気を与えるブログにしていきたい。

「すけ」とハンドボール  ~その3~

皆さん、おはようございます!

 

「すけ」です。今週はなかなかブログを更新することができませんでした💦

 

 

土日はしっかりアウトプットを意識して行動していこうと思います!

 

 

さて、前回までの話では、私の「ハンドボールとの出会い」についてでした。

 

今日は、高校でのハンドボールライフを書こうと思います。

 

 

 

4~6月 最初のインハイ予選

山形中央高校ハンドボール部(以下、山中)は男子部のみ。

 

私達の代は17~8人が入部しました。先輩たちも合わせれば40人近い部員です。

 

 

当時は、普通科の生徒しかいない部でしたので、

 

私の同期は中学時代、野球やバスケ、バレー、サッカー部だった子が多く、

 

 

ハンドボールの経験者が1人だけいました。

 

3年生の先輩にも1人経験者がいたので、部として2人。ほとんどが高校からの初心者になります。

 

 

ここで簡単に、山形県ハンドボール事情を説明しましょう。

 

当時の県内には小学生・中学生チームが東根、尾花沢、神町(現在は廃部)の3つの市町だけしかありませんでした

 

 

県内のハンドボール部がある高校は、そのほとんどが山形市にあります

 

そして、山形市を含めた近辺には、

 

ハンドボールを小さい頃から始める場所はありません。

 

なので、ほとんどの高校は初心者しかいないというのが当たり前でした。

 

だからこそ【経験者】というのは特別な存在であり、

 

 

経験者が多く進学する高校であった北村山高校、東根工業高校(現在は村山産業高校)は別格の強さです。

 

 

この2つの高校にはハンドボール専門の先生もいました。

 

 

これが当時の山形県ハンドボール事情です。

 

要は・・・経験者たくさんいるところは強いよね!

 

経験者いるところは簡単に負けられないし、初心者多いチームは経験者倒してやるぜ!

 

みたいな風潮だったなと勝手に思ってます笑

 

 

そんな中、当時の山中は、2強(経験者)を初心者軍団で倒す!みたいな存在のチームでした。

 

また監督である【瀧浪先生】は高校の先生ではなく、県の職員だったため、外部指導者として、平日の練習はもちろん、自前のマイクロバスを運転し、全国各地への遠征にも連れて行ってくれる熱心な方でした。

 

 

山中ハンド部は創部が平成に入ってからであり

 

歴史は浅いものの、創部時から監督をされている【瀧浪先生】が熱い気持ちをもって指導し、今では県内でも常にベスト4へ入るようなチームへ導いたと聞きました。

 

だからこそ、他の高校には簡単に負けられないし、それこそ経験者との差を練習量でカバーしていた感じです。

 

 

ちなみに・・・私が入学する前年度、山中はインターハイに出場していました!

 

 

ハンドボールの強豪としての地位を築きつつあるところでしたので、

 

普通科の生徒しかいない部でしたが、練習もそれなりにハードだとわかりました笑

 

全部、入部してから知りまし笑

 

そんな中、入部してからキャッチボールやランパス、体力トレーニング、フェイントのステップワークをひたすら練習。

 

ハンドボールのいろはを教えてもらいました。

 

 

そして、最初のインターハイ予選は先輩たちの応援!

 

 

先輩たちは勝ち進み、決勝進出

 

2年連続のインハイまであと1勝

 

このままいけると信じてましたが惜しくも敗戦

 

そして、新チームでの活動が始まりました。

 

 

7~9月 新チーム始動

3年生が引退し、2年、1年での新チームが始動しました。

当時はどんな練習サイクルだったかというと

 

月:休み

火、木:外部体育館(隣の市まで電車移動して21時まで練習、監督のバスで帰る)

水:グランド練習からウエイトトレーニン

金:昼休みにウエイト、夕方から学校の体育館(第二体育館という狭いところ)

土日:外部体育館(ほぼ1日練習)

 

というような感じです。

 

たぶん、練習量は多い方だったと思います。

 

新チームは同期の1人以外は先輩も含めて、高校からのスタート

 

ライバルとなる東根工業、北村山高校には経験者が多数おり

 

もちろん他の高校も必死に練習しています。

 

でも、私達も負けじと練習していました。

 

 

夏休みに入ると合宿です。

 

お盆期間に4泊5日でチームの強化練習

朝から夕方までみっちり練習!でも、お昼休憩は長めでったので昼寝が楽しみでした

 

この合宿にはOBの方が多く所属している社会人チームの方も一緒に参加するので

 

基礎的な練習もありましたが、メインは速攻練習です

 

 

先輩も同期も社会人の方も

 

 

みんなが極限まで追い込んで走り、

 

そして、倒れました笑

 

 

この厳しい夏を終え、いよいよ新人戦のシーズンです。

 

先輩達が10人しかいなかったため、1年生の中でもユニホームを貰える選手がいました。

 

私もぎりぎりでユニホームをもらうことができました。

 

 

嬉しさと不安と入り混じったなかで迎えた試合当日のこと

 

 

試合までグランドでアップを行っていました

 

そのアップ中に滑った選手と接触し、

 

頭を切って病院行きとなりました笑

 

縫わずに、医療用のホチキスで止めてもらい、試合までに戻れましたが、もちろん出番はなし!

 

 

先輩たちも接戦が続きましたが、

 

練習の成果を発揮して優勝!

 

無事に県大会のシード得ました

 

 

10~2月 遠征シーズン

 

地区大会を終えて、

 

ここから県新人戦、県選抜予選と続きます

 

その試合で勝つために、秋は遠征です。

 

 

宮城、岩手、福島へ

 

 

毎週末遠征でした。

 

不来方高校や富士大にもいき、私もBチームですが試合に出て、レベルの違いも経験できました!

 

遠征って楽しいですよね!

 

皆さんはどうですか?

 

 

私は、今でも忘れない思い出が一つあります

 

秋の福島への遠征でのこと

 

何チームかで合同の宿舎で泊まった時、

 

そこの宿舎に洗濯機と乾燥機が一台しかありませんでした💦

 

どうにもできず、順番待ちをして他の高校の選手と喋ったりして仲良くなりました

 

結局、朝の4時まで洗濯にかかったのがいい思い出です笑

 

 

そんな秋の遠征が終わり

 

冬は年明けすぐに県選抜予選会があったため、年末年始も練習

 

 

正月は九州の長崎県まで遠征(飛行機が苦手で、それが嫌でした)

 

 

九州、中国地方の強豪と試合は見ていることが多かったけど、スピード、テクニックが驚き、勉強になることが多かったです。

朝の散歩で首塚まで行ったのが印象的でした笑(顧問が歴史の先生)

 

 

九州遠征を終え、

 

選抜予選は東根工業には負けましたが、

 

もう一つのライバル、北村山高校に勝ち、

 

東北大会へ出場することができました

 

 

 

迎えた秋田県での東北大会

 

各県の第二トーナメントを勝ち上がっていけば、全国選抜へ出場ができます。

 

初戦を突破し、二日目は秋田代表の横手高校戦で敗戦。

 

全国の道は途絶えました・・・

 

同じ県内の東根工業は第3代表で全国選抜へ出場を決めました。

 

決勝は不来方ー湯沢。

 

レベルが高いのはもちろん、どちらの高校も私と同じ1年生が多く出場していたんです。

 

改めて練習を頑張って上手くなりたいなと思えた初めての東北大会。

 

そして、この東北大会で私は【失敗】をします。

 

先輩が怪我をしていたため、ベンチ入りしていたのですが、これは最後に書きます。

 

 

3~6月 春の遠征、先輩たちの引退

 

東北選抜も終わり、3月の春休み

 

次のインターハイ予選まで残り3ヶ月

 

私達は京都へ遠征にいきました

 

あの有名な【洛北高校】です

 

当時の私はどこが強いとかよくわかっていませんでしたので、

 

「へー」 くらいにしか思えませんでした笑

 

監督の運転するバスで10時間かけて移動し、京都へ到着

 

最初に集合すると驚きました

 

みんなデカイ・・・

身長も高い、身体の厚みも違いました

 

DFでぶつかった時は、「岩かよっ!」て思いました

 

これが強豪校か・・・

そして、関西弁怖かった笑

 

 

当時の洛北高校には、

 

現在、日本リーグの【湧永製薬】で活躍している

 

中浦成崇」選手

「成田幸平」選手

 

がいました。

 

そんな人たちと練習や試合をしたり、春一番の強風の中、鴨川沿いをランニングしたのが思い出です。

 

この遠征で学んだのは、

 

・ポストとのコンビネーションプレー

 

・ポストと合わせることの大切さ

 

・DFでは逆にどうしたら相手のポストプレーを守れるか

 

です。

 

DFでポストからブロックをかけられた時の外し方は目からウロコでした!

 

 

 

春休みの遠征や、GW最後の遠征も終え、

 

いよいよ先輩達と挑む最後のインターハイ予選を迎えました。

 

ここまで書いただけでも相当な練習を重ねており、

 

相手は全国にも出場した東根工業ですが、簡単には負けられない!

 

 

そして、準決勝の東根工業戦

 

 

試合を通してDFで粘り、必死に戦い、

 

数多くの遠征で鍛えた力を発揮できていました

 

それでも、徐々に離されてしまい敗戦・・・

 

 

私はベンチで先輩たちの勇姿を見つめていました。

 

試合後の先輩たちの涙はやはり心が動かされます。

 

 

もう先輩たちと戦うことができない寂しさ

 

と、同時に

 

次は自分達が引っ張るんだという覚悟

 

 

いよいよ高校ハンド、最後の1年間が始まります。

 

 

ということで以上、今日は1年生から2年生になるまでの話でした。

 

 

 

 

人生で影響を与えた試合

 

 

最後に・・・

 

私の人生において、忘れない試合の一つを紹介して終わりたいと思います。

 

 

 

それは、1年生の冬の東北大会

 

秋田県の横手高校戦

 

右サイドの先輩が前半からシュートを止められ続きていたこともあり、

 

終わり際に突然呼ばれました

 

 

右サイドでの出場

 

めっちゃ緊張しました・・・

 

必死にセットのきっかけを思い出します笑

 

 

何回かの攻防が続いたあと、先輩がずらしてくれたパスがきました

 

結構角度は広かったです

 

でも、、、

 

自分は飛び込んでシュートまで行けず、切り替えしてしまいました

 

もちろん、怒られました

 

そのあと、すぐにベンチに呼ばれ交代

 

 

ものの4分間くらいです

 

 

14年も前の試合ですが、あのシーンは忘れられずにいます

 

 

あのボールを貰った瞬間、

 

「外したらどうしよう」

 

それが一番先に頭をよぎりました

 

 

弱い気持ちで一杯の自分

 

 

今振り返れば、失敗してもいいから【挑戦】すれば良かったと後悔しています

 

 

ここから私が心に刻んでいるキーワードが【挑戦】です

 

 

今、私が運営しているHC山形では【挑戦】を大テーマにしているんです。

 

 

 

あの時の弱い自分へのけじめ、

 

 

子供達にはどんどん【挑戦】してもらいた。失敗してもいいんですよ

 

 

やらない後悔より、やって後悔した方がいいと思います。

 

 

だからこそ、私は挑戦しようとする人に勇気を与えたい。後押ししてあげたい。

 

 

そんな今の指導へ繋がる試合が、この忘れられない試合でした!

 

 

 

では、今日も長くなりましたが、最後までお付き合い頂きありがとうございました。

 

皆さんもよい週末を!

 

今日という日に感謝。~すけ~