こたすけの戯言

こたすけの戯言

「こた、すけ」の二人で届けるブログです。読者に新たな気付きを与え、勇気を与えるブログにしていきたい。

「すけ」とハンドボール  ~その1~

皆さん、こんにちは。

 

「すけ」です。

 

 

今日から、しばらく【私】の話をしていきたいと思います。

 

 

なぜか ・・・

 

 

【私】という個人が

 

どんな人かを知ってもらいたい、

 

これまでどんな生き方をして、

 

どんな考えを持っているのか、

 

そうした背景を伝えたいなと思ったからです。

 

 

 

もちろん今日で全てを話す事はできないので、何回かに分けて話をしていこうと思います!!

 

皆さん、最後まで是非お付き合いください!!

 

自己紹介

改めまして自己紹介をしたいと思います。

 

 

「すけ」 → 本名:冨樫 陽介(とがし ようすけ)です。

 

このブログでは「すけ」というペンネームでやらせてもらってます。

 

相方の「こた」君はいずれ紹介があるかと・・・

 

 

出身は山形県山形市(日本一暑い街だったのは過去の栄光)

 

 

4人兄弟の2番目(長男)です!

 

大学進学を機に埼玉県へ行きましたが現在は山形に戻ってきております。

 

普通の会社員をしながら、ハンドボールというスポーツのクラブチームを立ち上げて運営し、小学生・中学生を指導しながら日々暮らしております。

 

指導は土日だけでなく平日もしているので仕事との両立はハードですけど、ハンドボールは大好きですし、何よりもハンドボールに取り組む真剣な子供達の存在がエネルギーになってます!!

 

もちろん、現在はコロナウイルスの自粛で活動休止中です。

 

肩書としては、【指導者サラリーマン】といったところでしょうか?

 

ということで、改めまして宜しくお願いします。

 

 

 

 

幼少期  ~空手の道~

では、ここから順を追ってどんな生い立ちだったのか話をしていこうと思います。

 

 

幼少期の私はどんな感じだったかと言うと・・・

 

【身体が小さい】

【大人しい】

【恥ずがしがり】

【人前に立つとふにゃふにゃする】

 

 

だったそうです笑

(親談+最近昔のビデオをみる機会があり自分でも確認済み)

 

 

もちろん、運動もではありませんでした。

 

かといって音楽や絵の才能はもっとありません笑

(音楽・美術、大の苦手科目)

 

 

そんな私に初めて習ったのが「空手」です。

 

幼稚園の年中クラスから習い始めました。

 

両親は弱々しい自分を鍛えて変わって欲しい思っていたそうです。

 

 

そんな思いとは裏腹に初めの頃は道場に行くのが嫌でした。

 

・新しい環境になれなかったこと

 

・裸足なので床が冷たかったこと

 

が思い出されます(笑)

 

ただそれでも辞めずに週に2回の稽古に通い続けました!

(最初は親に引っ張らて連れていかされていましたが)

 

そんな甲斐もあってか学年があがるに連れて弱音を吐かなくなり、人前に立つ時も、ピシッと気を付け!!ができるようになりました。

 

 

楽しかった思い出としては、

 

年末最後の稽古の日はお楽しみ会を道場でやって景品でお菓子が貰えたことが思い出です笑

 

そんなこんなで5年生の11月の大会まで空手を続けたのですが、ここを最後に空手を辞めることになります。

 

 

 それは「野球」を始めるため!!

 

 

 

 

小学5年生  ~野球での出会い~

 

私が入団したのは地元のリトルリーグです。

 

 

きっかけは

 

 

・父親が野球の経験者でキャッチボールは良くしていたこと

 

・その当時は野球のテレビ中継を見ていて憧れていたこと

 

 

で野球の世界に飛び込みました!

 

 

しかし、いきなり試練が待ち構えていました。

 

 

当時は身体がまだ小さく(小学5年で130センチ)

 

バットも硬球ボールを投げるの一苦労だったのです。

 

 

それでも家での素振りや壁当て、バッティングセンターに連れて行ってもらって少しずつ打てたり遠くまで投げれるようになってきました。

 

やっぱり、うまく打てたりしたときは嬉しいものですよね!

 

未だに公式戦での初ヒットを覚えています!!

 

 

私は主に外野を守っていましたが、左投げだったこともあり、ピッチャーもする機会ももらえました💡

 

正直・・・

 

打ったり、守備でフライ捕るのが苦手だったので、ピッチャーで投げている時が一番楽しかったなって思います!

 

その頃から、ドッジボールも好きだったのでハンドボールと同じ投げる要素のあるスポーツが性に合っていたのかなと思いますね。

 

 

もちろん、将来の夢はプロ野球選手!!

 

なんて掲げていましたよ!

 

 

でも、ある試合で衝撃を受けた選手がいるんです。

 

それがヤクルトにドラフト1位指名、現在は楽天に所属している

 

佐藤由規 投手

 

彼は、仙台東リーグというチームに所属しており、大会や練習試合で対戦する機会がありました。

 

まぁ、彼の投げるボールを一言で表せば、

 

【化け物剛速球】と【消えるカーブ】です。

 

手から離れた瞬間にミットにきてるくらいの速さだし、

 

カーブも鋭く曲がるのでバットに当たる気がしませんでした笑

 

ちなみになんですが・・・

 

この時の仙台東リーグには由規選手の他にも、

 

同じくヤクルトに入団した中根佑二選手もいたんですよね。

 

将来のプロ選手2人は反則でしょ・・・

 

さらに当時は左投げの加藤陽亮というエースもいて、この3羽ガラスを擁して

 

なんと、

 

日本一どころか世界大会準優勝までしたチームなんです。

 

その対戦を通して、私は小学生ながらもこういう人がプロ野球に行くんだろうなって思い、野球で上を目指すのは難しいのかなっ感じていました。

 

今振り返れば、

 

諦めるの早すぎじゃん!もう少し努力してもいいんじゃない?って思いますけどね・・・

 

それくらい衝撃を受けた選手との出会いでした。

 

 

 

 

中学生  ~挫折~

小学5年生で野球を初め、中学生に進学しました。

 

中学生なので部活動を選ばなくてはなりません。

 

実は、リトルリーグでプレーできる年齢というのは、アメリカの基準に合わせているので13歳になるまでプレーできたんです。

 

そのため、私は中学1年の9月まで活動できることになっており、どの部活を選ぼうか非常に悩みました。

 

そして、選んだのは【陸上部】です。

 

なぜ、陸上部か・・・

 

・個人種目だったこと

・部活を休んだ場合、団体競技よりも迷惑をかけないこと、

・野球のための体力作りができる

 

と思って選びました。

 

(本気で陸上やるために選んだ人には失礼な話ですよね)

 

あと、純粋に外部のクラブや団体で活動する人は陸上部って流れがありました。今は外部部活動という制度もあるみたいですね!

 

種目はもちろん長距離をやりました!走るのは嫌いじゃなかったですしね!

 

と、部活の話はここまでで、野球の話へ戻ります。

 

9月でリトルリーグを卒団した私は新しく中学硬式野球チームができる話があったので、当時のメンバーとそのチームへ入ることに。

 

今だから正直に言えますが、この時はあまりに野球を続けることに乗り気ではありませんでした。

 

前述した通り、自信が持てなかったこと。

 

さらに中学生になって周囲とのレベルの差になかなかついていくことができなかったんです。

 

中学1年で身長はようやく140センチになったくらい。

 

グランドの広さは大人がする球場の広さと同じになります。

 

バットもさらに重くなり、ピッチャーの投げるボールは速い。

 

ノックの打球スピードも上がる。

 

打てない、捕れない、届かない状態です。

 

もう色々と自分の中で限界だなと諦めてました。

 

もちろん、差を埋めるためにできる限りの努力はしてたつもりです。

 

ただ、追い打ちをかけるように、当時のチームの雰囲気にも馴染めなくなってきました。

 

 

【できない人が馬鹿にされ、疎外感のある感じ】

 

 

 これは結構きつかったですね・・・

 

正直、週末になると、

 

「雨降って練習休みになれ!!」

 

って、思うくらいでした笑

 

そんな感じで、野球が嫌いになってしまったんです。

 

そして、中学2年生の秋頃に左手の指を骨折したことを理由に、野球を辞めることにしました。

 

こうして振り返ると色んな思いが蘇ります。

 

これを読んだ人はたぶん、この私をみて、

 

「身体が小さいのを言い訳にして、本気で競技に取り組んでいなかった甘えじゃないの?」

 

って思うかもしれません!

 

今の自分が書いててそう思いますもんね笑

 

だけど、理解してもらいたい事もあって、

 

人の成長には個人差がある。

 

特に身体の成長は。

 

だからこそ、今できないことがあっていいんですよ。

 

子供の成長を見守る大人の存在。

声がけや挑戦できる雰囲気を作ることがいかに大事か。

 

仲間の声がけも大事です。

できない人を攻める、バカにする、そんなのは仲間では無いです。

 

要するに、チームのトップでマネジメントする人の

 

【心の在り方】が大事になるのだと思うんです。

 

目先の結果や技術の取得にとらわれてしまうと、もっと大事なことを失うのかもしれません。

 

私が野球を嫌いになってしまったかのように。

 

 

この経験があるからこそ

 

今、小・中学生に対して指導している身である自分が、

 

「自分がした嫌な思いをしてもらいたくない。

      やってる競技が嫌いにならないで好きになって欲しい」

 

と心の底から思うのです。

 

これが指導の基盤になっています。

 

 

さて、そんなことで野球を辞め、

 

ここから高校受験を経て志望校に無事合格することができたのです。

 

 

さぁ、高校での部活は何にしよう??

 

 

という所から次は次のブログで書きたいと思います。

 

 話が長くなりましたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。

 

しばらく私の話が続きますが、次のシリーズも読んで頂けたら嬉しいです!

 

 

今日という日に感謝。~すけ~